2017/03/10
それでも、気ままな旅はやめられない(4)
ムッシュー酒井の ど~もど~も No.44
目的地を定めない気ままなドライブは、道に迷うことがない利点がある。ある街に向かって走っていても、道を間違えたら間違えたママに別の方向に旅を続ければいいことで実に気楽。
ただし今回のようにガソリンスタンドのストライキは計算外のアクシデントだが、時間はたっぷりあるし何とかなると思い、パリから200キロ以上は離れないように、とりあえずロワール河周辺を走ることにした。大都市はさすが非常事態宣言中でもあり外国人観光客は少ないが、地方都市はいつもの長閑さで町の広場のテラスレストランはどこも満席。
しかし新しい発見、地方都市を旅してみて、ほとんどの小さな町にスシ・バーがあることに気づいた。フランスは美食の国、どんな小さなカフェ、ビストロから星付きのレストランに至るまでハズレがないが、これらのスシ・バーのほとんどが、韓国料理、中華料理店からの転向もしくはブームに当て込んだにわか仕立ての店が多く、韓国系が圧倒的に多い。世界遺産に登録された日本食を食い物にしているとしか思えない。ちなみにネットで検索したところ、フランス全土に約5,000軒以上のスシ・レストラン、バーがあるというのもうなずける。フランスで「食べ物にハズレなし」は神話のように不変であるが、スシを除いてと言わざるを得ない。「寿司」とは別物の「スシ」がフランス、否、世界を徘徊し始めている。
フランス料理の源流は地方の料理にあると思い、今回も地方料理をその土地々々で食べることに徹したが、地方料理にも少しづつ変化? 進化? が進んでいるように感じた。アルザスのシュークルートはたっぷりのキャベツ(発酵させたもの)と豚肉、ソーセージでブラッセリーの定番メニューと決まっていたが、今回はオンフルールやカンカルなどの港町のレストランで「海の幸のシュークルート」に何度かお目にかかり、好奇心で食べてみた。シュークルートをフュメ(魚の煮汁ダシ)で煮込み、山盛りのエビ、白身魚、貝と出てくる。ワインはもちろんロワールの白。
古典的なエスカルゴ料理も赤ワイン煮込みや白ワインとクリームで煮込んだフリカッセに代わり、ビストロや小さなレストランでは、前菜、メイン料理を注文するより、大皿たっぷりのサラダに盛られた魚、肉、またはチーズという具合に、1皿とデザートですませるタイプが増えている。パリのネオ・ビストロ・スタイルが地方にも浸透し、人々も昔のように昼でもワインというスタイルからビールがその代わりとなっている。
古城をめぐり、シノン、サンセールのワイン蔵めぐって、途中運良く小さな村のガソリンスタンドで少量だけ給油することができた。他のガソリンスタンド同様、店頭にVIDE(空っぽ)の張り紙がしてあり親父さんが退屈そうに店頭で行き交う車を眺めていた。燃料残も心細くなり、思い切ってこの近くに他のガソリンスタンドは? と聞いてみた。親父はないと言いながらも、「ムッシューはどこから来たのか」と聞く。「東京から」と何気なく答えると「それは大変だな、25リットルだけなら入れてやるよ、まだ少し残っているはずだ」と言う。車で東京から来るわけがないが、パリから来たと言わずに良かった。まさに地獄に仏の心境、5ユーロ(約600円)の釣りはいらないと言うと、親父は多分TOTAL(トタル)社のスタンドには、明後日にはジーゼル燃料が入るはずだと教えてくれた。なんたる吉報、礼を言って急遽ロワールめぐりのハンドルをプロヴァンスに向けることにした。もう何の心配もない。夜のディナーは、この地方の名物「仔牛の頭料理」と山羊のチーズ「クロタン、シャヴィニヨル」、そして土地のワインを併せた食事はテロワール満載だった。
プロヴァンスに向かうにはブルゴーニュ地方を抜けるのが一番。この地方を何度も旅しているが、フランスの誇るシャロレー牛の産地シャロル町に行ったことがなかった。ブルゴーニュ地方ソーヌ・エ・ロワール県南部のシャロル周辺で育てられた白色の牛をシャロレー牛と称する。「大男の靴底よりでかく、赤ん坊のケツより柔らかい」「シャロレー牛を食べる時はナイフで切らない、ナイフを当てると切れてしまう」と土地の人はシャロレー牛の旨さを奇妙な例えで表現するが、柔らかくジューシーな肉感は和牛とは全く対極にある旨さ。町には牛の伝統を守る博物館がある。
燃料の心配はTOTALのスタンドを見つけることで解消したが、大きなガソリンスタンドはセルフサービスがほとんど、日本のようにいらっしゃい、窓は拭きますか? 灰皿は? のサービスは全くない。給油後スタンドのオフィスに行って、何番のスタンドで給油したと申告して支払う方法とクレジットカードをかざして支払う方法の2つがある。クレジットカードで支払う場合、持っていたカードにICタグがついてないと給油できない。持っていた何種類かのカードのうち1枚だけに運良くICタグが付いていたので、滞在中の燃料、高速道路はすべてこの1枚に頼りっきりだった。
燃料の心配もなくなり、天気はいいし、料理には大満足。「太陽の道」(南下する高速道路A1)をリヨン経由でマルセイユ目指しひた走る。まさか旅の後半に幾つかのアクシデントに見舞われるとはこのとき全く想像もせず。
- 酒井 一之
さかい・かずゆき
法政大学在学中に「パレスホテル」入社。1966年渡欧。パリの「ホテル・ムーリス」などを経て、ヨーロッパ最大級の「ホテル・メリディアン・パリ」在勤中には、外国人として異例の副料理長にまで昇りつめ、フランスで勇名を馳せた。80年に帰国後は、渋谷のレストラン「ヴァンセーヌ」から99年には「ビストロ・パラザ」を開店。日本のフランス料理を牽引して大きく飛躍させた。著書多数。