2012/2/20
料理人人生50年の大矢シェフの格言
「努力に勝る天才はなし」
グランシェフOHYA 大矢弘榮オーナーシェフ
今回の舞台は、我らが会長、大矢弘榮シェフが12年前、56歳の時に開店したお店「グランシェフOHYA」。地元民に愛され、プリンスホテル時代からの30年来のファンも3世代で通ってくるそうだ。笑うととってもチャーミングで懐の広い大矢シェフのお話と、マダムの弘子さんとの夫婦愛を感じる3時間、皆さんすっかりファンになったようだ。
本日お集まりいただいた皆さん
- 本日お集まりいただいた皆さん
写真:左から
グランシェフOHYAキッチンの小泉さん
横浜グランドインターコンチネンタルホテル イタリア料理「ラ ヴェラ」 上原あやみさん
グランパシフィックLE DAIBA料飲部 宴会調理
ガルドマンジェ 森田安菜さん/宴会調理 荒英伸さん/ガルドマンジェ 小笠原 由貴さん
グランシェフOHYA 大矢弘榮オーナーシェフ
資生堂パーラー横浜高島屋店 調理部 齋藤雅章さん
頑張らなくていいから、努力してよ
大矢 皆さん、ようこそ。
自己紹介も兼ねてご自分のことをお話しください。料理人になったきっかけは?
荒 最初は、もてたかったんです。料理を作る男の人って格好いいなと思って。アルバイトでデパートのレストランで調理の仕事をしたら面白くなって、それからいろいろな店で働いて、29歳で上京してホテルに入社しました。
小笠原 私は、中学、高校とバレー部に入っていた私の体調管理をしてくれた母に感謝して、何か人のためになる仕事をしたいと思った時、身近だったのが料理でした。
森田 料理が作れれば、家庭に入った時に生かせると思ったからです。
大矢 動機は何でもいいんだよ。大事なのは続けること。俺は頑張れって言わないよ、努力してよ。頑張ると途中でくたびれてしまう。辞めずにいかに続けるか。続けなかったらプロになれない。仕事は好きにならなきゃ。女性は嫁さんになって辞めても、家庭や友人集めて教えてもいいし。食は生きていくために必要。手に職をつけることは自分を守る最高の武器になるよ。それと、健康でいることが一番大事なことだな。
齋藤 親父が飲食店をやっていて、自然と料理人になりたいと思っていました。
大矢 いつか店を継ぐにしても、他人の飯を食って、厳しさも辛さも知らないと。親と一緒にやると甘えが出るからね。いずれ自分で商売するなら、店の規模の大小にかかわらず、料理長を経験することよ。そうなると、人間との繋がり、コミュニケーションが一番大事ということが分かる。弱ければ潰されるし、強ければ反発も買う。でも、反発を買う方が自分で生きていくのに、根性、意地がついて来る。人と同じことをやってもどんぐりの背比べ。俺は人が5年かかるところを3年でやった。シャトー剥くにしても、人が3つ剥くところを5つ剥くんだという気持ちでいないと。若い時はどんな仕事でも給料安いよ。給料ほしかったら頑張るしかない。周りに認められることが大事なこと。あいつはよくやるよと、誰もが言うような人間にならないと。
上原 私は手に職がほしかったのと、両親共働きだったので子供の頃から料理をしていたのがきっかけです。うちの母が料理がすごく上手で、私も作りたいと思いました。この世界に入って、一生勉強というのが分かりました。夢は自分のお店を持つことです。母親がパンを作ったり、ラッピングが得意で、姉が経営者なので、3人で力を合わせればなんとかなるかなと。今は、料理だけでなくサービスも学びたいと思っています。
大矢シェフは大きなホテルの総料理長からオーナーシェフになった時、どんな変化があったんですか?
大矢 この商売に入った時に、店を持つのが夢だったから、原点に戻っただけ。寿司屋みたいなフランス料理店ができないかなと思った。敷居を取っ払ったフランス料理店がつくりたかったんだ。お客さんの中にはいろんな道のプロがいて、その人たちと話ができることが幸せだね。気をつけているのは仕入れ。ホテルにいる時から休みのたびに仕入れをしに北海道、東北、福島を食材探しで回っていた。バイキングは売値が先にあるから、業者から普通に仕入れたのでは成り立たない。料理人は新しい食材に飛びつきやすいから、業者にデッドストックがあると知って、それを業者から買っていた。業者は喜ぶし、安く仕入れられるから原価落とせて俺らも嬉しいし、お客さんも喜ぶ。それを「仕入れの三角関係」と呼んでいたよ(笑)。今も市場に行ったり、地元で買ったりして仕入れの努力をしているから安く出せるんだ。
- 大矢弘榮オーナーシェフ
できることを一杯持っているやつが勝ちなのが、職人
荒さんと小笠原さんはそれぞれ氷彫刻とフルーツカービングに夢中ですよね。
荒 再来年、アラスカで開かれる氷彫刻の世界大会に個人で行く予定です。
ここでマダムの弘子さんが登場
弘子 アラスカはいいところでしたよ。アラスカにプリンスホテルがあって連れて行ってもらったんですけれど、お酒をロックで飲んだら氷がピチピチと鳴って。きれいなブルーの氷なんです。アラスカでスキーするのが夢。雪質が全然違うのよ。
一同 アラスカ行きた~い!!
小笠原 夢は、フルーツカービングの大会で優勝することです。そこまで行くには未熟ですが……。
大矢 コツコツやっていれば上手になるから。何でもいいからその道に入って徹底しなさいよ。俺だって決して器用じゃない。毎日の積み重ねなんだよ。そうすると1つ生まれてくる。焦る必要もないし。今すぐうまくなるなんてありえない。先生に教わったのは「努力に勝る天才はなし」親父に教わったのは「頭になれ」と言う言葉だけ。毎日努力すること。何の世界でも一緒だと思うよ。
上原 人の話を聞かないタイプだったんですけど、糧になると気付いてからは聞くようになりました。
大矢 仕事を覚えるには素直になること。自分より勝っている者があったら頭下げてでも教えてもらう。できることを一杯持っているやつが勝ちなのが、職人だから。
上原 私も異動して、アニョーの卸し方もソースの作り方もリゾットの作り方も今まで教えてもらったことと違って、やり方をたくさん知っている方が自分で選べるんだと思いました。
弘子 この人は「わからない」「できない」「嫌だ」というのは絶対に言わない。学校は出ていなくても自分で研究したり、調べていた。自分の仕事を修得するためにはどんなに若い者にも頭を下げてでも聞くの。男性として、職人としてすごいと思います。
上原 1、2年目は悔しいことも多くて、毎日何くそ! と思って段ボールに八つ当たりして、泣きながら仕事をしていました。5年やって後輩が増えて来て、悩んで初めて上司に相談したら真剣に聞いてくれた。料理人は仕事は大変だけれど好きなことやっているから気持ちが若くて、心が熱い人が多い。普段ふざけていても真剣な話になると聞いてくれる。
大矢 一生懸命やるやつって先輩からすると、可愛いんだよ。憎いんじゃないんだよ。その時は反発していても、後で分かるよ。
「ここは人には負けてない!」と思うのはどういうところ?
森田 下っ端としてのプライドと責任を持ってやっています。この間、テリーヌ型を使ったサンドイッチを作ってパーティで出したらお客さまに喜ばれて嬉しかったです。
小笠原 最近、お客さまからお祝いの席のフルーツカービングの依頼が来るようになりました。今のところホテルでは私しかできないんです。
大矢 すごいじゃない! 何人いるの? え? 100人の中で1人?
小笠原 そう考えると自信がみなぎって来ました!
このつながりは一生切れない
今日の感想を一言ずつどうぞ。
荒 人の考えを聞くことで刺激になりました。人には負けないことって何だろう?と考えさせられたので今後はその意識を明確に持ちたいです。
上原 続けることでこのつながりを持てたので、何でも続けることは大切だなと思いました。つながっているからこそ、人の話を聞けて知識を取り入れて自分で考えて成長して。このつながりは一生切れないもの。自分の腕についた技術と同じくらい大事で有り難いと思います。
森田 大矢シェフの「頑張らなくていい」という言葉が心に響きました。コツコツやっていれば誰かが見ていてくれるんだと思うと、これからの自分に希望が沸いてきたというか。今のホテルに居続けて、辞めずに頑張っていきたいなと思いました。
小笠原 初対面の人もいるんだろうなと思って緊張していたんですが、笑いがあってすごく楽しかったです。フルーツカービングを武器にして努力して行きたいなと思いました。
齋藤 大矢さんのお話は、共感するところが多いです。業者のデッドストックを仕入れるのは勉強になりました。料理をやっていると人間性も磨かれて行くんだと思いました。
大矢 あんた偉いな、いいコックになるよ。業者とは友なんだよ。絆なんだよ。今、あんたが小僧でやっていて、業者を大事にしていたとしたら、独立した時に、きっと協力してくれるよ。女性は、いずれ結婚して料理人を辞めても連絡が取りあえるような会を作ったらどうだ? この中からシェフが出るのを楽しみにしているよ!
大矢シェフ、弘子さん、キッチンの小泉さん、
ありがとうございました!
- グランシェフOHYA
グランシェフOHYA
〒165-0027
東京都中野区野方5-31-1 MIWAビル1階
TEL:03-3338-2941
ランチ:火~日11:30-15:00(LO14:00)
ディナー:火~日17:30-22:00(LO21:00)
定休日:月曜日(不定で月1回火曜日も)