2019/4/10
フランス、韓国旅行
ムッシュー酒井の ど~もど~も No.56
年末に韓国、正月明けにはフランスへと、久しぶりの旅行で年末、年始を海外で過ごすことになった。
高校に進学した孫娘に、お祝いは何がいいかと聞いたら「一生のお願い、ぜひ韓国に連れて行って」との要望だった。父親か母親に連れて行ってもらえ、と話したが、両親は多忙を理由にジジに相談しろとでも言ったのだろう。一生のお願いとは大袈裟だが、理由を聞いたら、韓流アイドルのコンサートにぜひ行きたいとのこと。全く韓流に興味のない私にとっては考えられない動機だが、高校進学のお祝いと考えれば、まっ、いいかと考えるのが孫に甘いジジの弱み。韓国にはこれまで4~5回行っているので、なんとか案内くらいはできると思い引き受けた。
打ち合わせに来いと言ったらやってきた孫娘、早速スマホを取り出しアイドルグループの説明を始める。全くアイドルに興味はないし、年末、年始は旅行者が多いだろうからホテルの予約が難しい、韓国はすごく寒いぞと翻意を促したが、全く動じない。スマホでホテル、航空券の予約サイトを開き予約していいかとせがむ。ソウル市中心部のホテルも航空券セットだと安いと押し切られる。甘いね! ソウル市は連日マイナス9度。アイドルグループのチケットはプレミアムがついて12万円。これは諦めてもらったが、アイドルグループの大きな看板(電光掲示板?)を探しにスマホ片手に連日の地下鉄駅巡り、知らない土地でアイドルが写っているカップコーヒーのホルダー集めに喫茶店巡り、自分のスマホの電池が切れると私の携帯を使用。自分の携帯にこんな機能が潜んでいたとはビックリでした。
3日目の朝、12階の窓から外を眺めていると旗をふり、楽器を鳴らしながらの行進がやってきた。続いて国旗を持ち整然と行進する団体、韓国、アメリカの国旗が多く次から次へと行進は続く。1万人くらいの人数はいただろうか。大きなパク・クネ前大統領の顔をプリントした旗を掲げ復権を訴えるデモ。道理で前日から街のあちらこちらでさまざまな集会が開かれ、警察官の姿が異様に多かったわけか。集会はマイクで絶叫、反日も叫んでいるようだが、デモは実に整然、オリンピックの入場行進より秩序が保たれていた。
年が明け7日から18日間フランスの旅。慣れた旅だが、心配はJilets Jaunes(ジレ・ジョンヌ)、黄色いベスト運動の動きだった。11月17日に起こったこのデモは毎週土曜日に参加者が集まり、参加者は多少減ってきているが行動はエスカレートし年が明けても収まらない。炎をあげ燃える自動車、シャンゼリゼ通りに並ぶ高級ブランド品のブティックのガラスは叩き割られ、機関銃を持った警察官が立ちはだかる。土曜日だけ避ければなんとかなると、大都市も避け地方都市を回ったが、ニース到着が金曜日、その翌日デモにぶつかる。黄色いベストを着たデモ行進者が集まり始めると市電が止まってしまった。もちろんタクシーは動かない。元プリンスホテルで働いていた親友ジョゼ・アリミの店に行くのに3キロ歩いていかなければならない。ニースのデモは比較的静かだったが、その1週間後の金曜日に入ったパリでは街中が重装備の警官で溢れ、凱旋門広場、シャンゼリゼ通りには車が入れない。大統領官邸近くは小さな路地まで完全封鎖で大回りを余儀なくされる。ルーブル美術館前のリヴォリ通りは完全封鎖。あの有名はSt-honoré(サント ノレ)通りも半分ブロック。お陰でパリを車で移動することは諦め、レンタカーは3日間駐車場に入れっぱなし。
デモは地球温暖化対策のため燃料税を引き上げる方針を発表したことが発端で、車が故障した時に着用義務づけられている黄色いベストを着たトラック運転手が始めたことがきっかけになって反マクロン政権運動にまで発展してしまった。韓国で見た整然としたデモと「パリは燃えている」と騒がれるほどの激しい抗議デモ。
ところで、今回のフランス旅行は久しぶりの富士レークホテル副料理長との2人旅でした。私より36歳若い彼はスマホでルートを探す、レストランを探す。自分の携帯の電池が切れれば私の携帯を使ってナビ案内。いつも勘で動き回り旅をしてきた私だが、今回はスマホの助けを相当借りた。果たして少々勉強してもスマホを使いこなせるようになるかどうか、歳のせいにはしたくはないが。
食のお話はまたの機会に。
- 酒井 一之
さかい・かずゆき
法政大学在学中に「パレスホテル」入社。1966年渡欧。パリの「ホテル・ムーリス」などを経て、ヨーロッパ最大級の「ホテル・メリディアン・パリ」在勤中には、外国人として異例の副料理長にまで昇りつめ、フランスで勇名を馳せた。80年に帰国後は、渋谷のレストラン「ヴァンセーヌ」から99年には「ビストロ・パラザ」を開店。日本のフランス料理を牽引して大きく飛躍させた。著書多数。