2016/12/9
それでも、気ままな旅はやめられない(2)
ムッシュー酒井の ど~もど~も No.42 特別編
50年近く外国旅行を続けているが、出発前のトラブルは今回が初めて。パスポートの期限残不足、レンタカーの予約記録消失、車の保険の年齢制限、ホテルの予約難航等々。何か嫌な予感がしたが、行くと決めたら行くしかない。ツアー旅行は苦手というか好きではないのでいつもの一人旅。旅に難問、難関が待ち構えているのは、それはそれで楽しいというのが基々の考えで好奇心が勝ってしまう。ただし現在フランスは同時多発テロ以来の非常事態宣言が終了していない。テロの起こりやすい軍の施設、警察、公共交通機関、観光地、デパート、そうした場所で不審な動き、気配を察知したら避けろと外務省のHPに書かれているが、テロリストも不信感を持たれないように突然現れるだろうから完全に避けることはできない。ならば今回は安全性がより高いフランスの地方、イタリアの田舎回りをすることにした。まさかテロには会うまい。
出発前日無事パスポートを入手、翌朝早めに成田に向かう。成田は遠いと言うが、これから旅に出かけるという高揚感を持つにはちょうどよい距離。無事チェックインを終えて、空港ロビーで16日間の旅の無事を祈願し、ちょっと早めだがウイスキーで乾杯。パリ到着は出発同日の午後4時半なので出発早々に現地時間に合わせて寝るのがいつもの習慣。食事時には食前酒、ワインを飲み、朝食もワイン。これですっかり睡眠をとると時差ぼけが防げるささやかな旅の知恵。
懐かしいシャルル・ドゴール飛行場に着き、レンタカーのオフィスに向かう。非常事態宣言中のパリは初めてだが、いつもよりは機関銃を抱えて犬を連れた警察官、3人でパトロールする兵士の数が多いくらいの感じだが、それに引き換え飛行機は満席だったにもかかわらず、空港内はどうしてか人が少ない。ガラガラという感じすらする。レンタカーオフィスで予約票を差し出し車の手配を頼むと生憎予約車の入庫が遅れて到着しておらず、1ランク上の車種フォルクスワーゲン(VW)のステーションワゴンだったら用意できるとのこと。予約料金より高かったので交渉、別料金のカーナビをサービスしてもらって料金を多少安くし、まあ小さなトラブル、仕方ないと諦め交渉成立。荷物を積み込み、それほど時間もかからずパリに向け出発することができた。いつもの旅だとここから無計画な旅が始まるが今回は多少フランス語に慣れることと、とりあえず必要なスパイスを買うため最初の2日間パリに滞在する初めてのプラン。3日目からは何も決めていない、いつものフリープランに戻る予定。
VWは世界販売1・2位の座をトヨタと争っているが、現在燃費不正問題で世を騒がせている。借りた車はヨーロッパで人気のジーゼル車、40リットル満タンで1,000キロ走る(これは事実)。左右に車が近寄ればランプが表示され前後はパネルに画像が表示される優れもの。ジーゼル車は初めてだが(後にトラブルが発生するとはこの時、全く思いもよらない)まあ快適な走り。それほど渋滞もなく、昨年11月に起こったフランス同時テロのサン・ドニ市を何事もなく通り抜け、ちょっと遠回りだがポルト・マイヨーからパリに入る。ポルト・マイヨー広場は、すぐ横にブーローニュの森、国際会議場、ホテル・コンコルドラファイエット。そして昔私が働いていたホテル・メリディアン・パリがある。ここからグラン・ダべニュー(大軍団通り)が始まり凱旋門、シャンゼリゼ通りに向かう昔ナポレオンが凱旋行進したパリを代表する通り。パリの地理感覚を取り戻すにはこのコースからパリに入るのが一番だと思っている。シャンゼリゼからコンコルド広場、オペラ座を抜け、ナビのおかげでギャラリーラファイエット近くのホテルに無事到着。近くのホテル特約の駐車場(割引あり)に車を入れ食事に出かけることにした。時間はすでに午後7時を回っている。一人きりのディナー、初日の食事にふさわしい17区テルヌ広場(凱旋門近く)に面したレストランまで足を延ばすことにした。ここテルヌ広場近くはレマルクの「凱旋門」という小説に頻繁に出てくる。「凱旋門」は第2次対戦中のパリが舞台で、ナチスの影に怯えながら、フランスに不法入国し、復讐相手追い続けるドイツ人医者ラビックが主人公で、セーヌ川で自殺未遂を起こした女優ジョアンとの恋愛、そして私を虜にしたカルヴァドス酒を強烈に印象付けた小説である。この地区は47年前、私が初めてパリに住んだ地でもある。
ワグラム通りに面したレストランは100席近くもあるクラシックな佇まい、いかにもパリといった雰囲気、客筋は良く、料理は珍しいクラシック。席に着き、まずソムリエに無事にパリに到着したことを祝うためのカルヴァドスを注文。カルヴァドスはノルマンディーではトゥルー・ノルマン(ノルマンディーの穴)と言って食中に飲むのが習慣のようだが私は食前か食後が好み。しばらくしてギャルソンが持ってきたメニューを開くとロースト料理、煮込み料理、地方料理、今では消えてしまったと思われる懐かしい料理ばかり。初日であまり動き回っていないし、それほど腹も減ってないので、ニシン(生)のマリネと子羊のローストを注文。ニシンのマリネは昔ホテルの賄いによく出てきた前菜でニシンのフィレ1匹分にポテトのサラダが付いている懐かしい料理だが、出てきたマリネはテリン型に入れられ、オリーブオイルと野菜、数えたらニシンが6匹分もたっぷり入っている。「お好きなだけどうぞ」とギャルソン。続いて出てきた仔羊のローストはシストロン産。テーブルで切り分けてくれた。10時近くなってもまだ外は明るい。行き交う人々を眺めながらの食事はなんとなく楽しい。そしてほんのり酔いの回った頭で今後の旅の予定を考えた。カルヴァドスのノルマンディー地方。飲んだワインのロワール・サンセール地方。旨かった子羊の産地シストロン(フランスアルプスの峠)。どうやら旅の予定は固まったようだ。
- マルシェの野菜
- 子羊のロースト
- 海鮮シュークルート
- グルヌイユ(食用カエル)
- ニシンのマリネ
- サンドイッチ
- 空っぽのドゴール空港
- 雨のLouvre
- 犬とフランスパン
- ピエ・パケ 仔羊の足煮込み
- マルシェのシェルキュティエール
- クールジェット
- 市場のトリュフ
- マルシェのローストチキン
- ムール貝マリネ
- 生牡蠣一人分
- パン一人分
- 牡蠣大皿
- 田舎のホテル
- 酒井 一之
さかい・かずゆき
法政大学在学中に「パレスホテル」入社。1966年渡欧。パリの「ホテル・ムーリス」などを経て、ヨーロッパ最大級の「ホテル・メリディアン・パリ」在勤中には、外国人として異例の副料理長にまで昇りつめ、フランスで勇名を馳せた。80年に帰国後は、渋谷のレストラン「ヴァンセーヌ」から99年には「ビストロ・パラザ」を開店。日本のフランス料理を牽引して大きく飛躍させた。著書多数。