2009/9/25
「いただきます」を忘れた日本人
食べ方が磨く品性
小倉朋子著 アスキー・メディアワークス 724円(税別)
食べるものに困り、飢えによる死者も出た戦争期から60年以上が経ち、飽食の国となった日本。
ブッフェで食べ残された料理は捨てられ、冷蔵庫に対する過度の信頼から命あった食材が賞味期限切という理由で捨てられている。曲がっているから、虫が食っているから、という理由で農家の人々が精根かけて育てた野菜も処分されている。
そこには「いただきます」という思いがあるのだろうか。本書は、こんな日本の現状を憂い、「いただきます」の復活を責務だと考えているフードプロデューサー、小倉朋子氏が書き下ろした。小倉氏は、飲食店のコンサルティングやメニュー開発、食育委員、テーブルマナーなど幅広く活動している。
「食を育む生命の営みと自然の摂理、それを育てる人、苦労して獲った人、料理をつくる人など、食べる人の口へたどりつくまでに払われたさまざまな労力にたいしても、『いただきます』の短いことばで感謝を捧げてきたのです。『いただきます』は、日本という国の心を表現することばだと私は感じます」(本書より)
支払った金額の元を取ろうと原価の高いメニューに殺到する「食べ放題」、買う気もない人が群がる試食三昧の「デパ地下」、 テレビや雑誌に取り上げられているからという理由での何時間もの「行列」・・・。
そこには人としての品性が感じられない。箸の持ち方を含め、古から続く日本ならではの食文化が崩れつつある。
また、筆者は、料理人の在り方についても言及している。
「なぜわざわざ外食するのか。第一に“プロの料理”が食べたいからです。上質の素材を仕入れて、それをいかに調理して芸術まで高めてくれるのか、『これか!』と唸らせるピッタリの素材や味と合わせてくれるのか。すばらしい素材に出会ったなら、存分にその食材の個性を引き出すメニューに仕立ててほしい。もしくは、つくりたい個性的なメニューがあって、それを生かすために食材を探してほしいのです。(中略)その食材とシェフの技が双方をグレードアップさせるような料理をいただくとき、客は店へ足を運ぶ意味をしみじみ実感できるはずです。」(本書より)
生命を繋ぐ上でなくてはならない「食」について考えることは、すなわち「生」を考えることだ。食と生について根本から考え直させられる良書である。